フリーアナウンサーでキャスターとして長年活躍した久米宏さんが、肺がんのため死去した。81歳だった。歯に衣着せぬ発言と独自の視点で知られ、日本のテレビ報道や情報番組の在り方に大きな影響を与えた存在として、多くの視聴者に記憶されている。

久米さんは1967年に東京放送(現TBSテレビ)へアナウンサーとして入社し、キャリアをスタートさせた。初期にはクイズ番組『ぴったし カン・カン』や音楽番組『ザ・ベストテン』などで司会を務め、軽快でユーモアのある進行で人気を集めた。
その後、1979年にTBSを退社しフリーアナウンサーへ転身。以降はニュースキャスターとしての道を本格的に歩み始め、1985年にスタートしたテレビ朝日系報道番組『ニュースステーション』の初代キャスターに就任した。
『ニュースステーション』は18年半にわたって放送され、久米さんの代名詞ともいえる番組となった。政治や社会問題に対して遠慮なく切り込むスタイルは当時としては異例であり、ニュース番組の概念を変えた存在として評価されている。
一方で、その率直な語り口や権力への厳しい姿勢は賛否を呼び、政治家や関係者から批判を受けることもあった。しかし久米さんは一貫して「権力に対して批判的であることこそ報道の役割」という姿勢を崩さなかった。

1986年の衆参同日選挙では、当時の中曽根康弘首相の選挙事務所から取材を拒否されながらも、事務所前から生中継を行うなど、既存の報道の枠にとらわれない取材姿勢を示した。このエピソードは、象徴的な出来事として語り継がれている。
久米さんは後年のインタビューでも「報道は民放の重要な柱である」と語り、メディアの役割について一貫した信念を持ち続けた。また「攻撃されることはメディアにとって勲章」と述べるなど、ジャーナリズムの自由と責任について強い持論を持っていた。
『ニュースステーション』降板後も、ラジオ番組やインターネットを通じて発言を続け、社会への提言を発信し続けた。2020年にラジオ番組が終了した後も、メディア出演や執筆などを通じて自らの視点を社会に届けていた。
遺族によると、久米さんは常に新しい挑戦を続ける姿勢を持ち続け、純粋な思いで社会を見つめていたという。その生涯は、単なるキャスターではなく、言論と報道の在り方を問い続けた象徴的な存在として位置づけられている。
久米宏さんが残した言葉と姿勢は、今後も日本の報道界において語り継がれていくことになるだろう。

