阿部一二三、グラドル・橋本莉菜と破局報道に「別れてよかった」冷めた声の背景に“下ネタコール”の破天荒ぶりか

1月4日、パリ五輪柔道男子66キロ級で金メダルを獲得した阿部一二三が、交際が噂されていたグラビアアイドル・橋本梨菜と破局していたことが一部報道でわかった。約3年ほどの交際だったと見られる2人。結婚間近と言われていたがピリオドを打ったようだ 「2人の交際は2022年春頃からスタート。知人の紹介で知り合ったと言い、都内でのデートも目撃されていました。阿部さんが出場したパリ五輪では、”ABE HIFUMI”と書かれたTシャツを着て観客席に座る橋本の姿が。存在感が一際目立っており、ラブラブぶりが伺われました」(芸能プロ関係者) そんな2人だったが、昨年8月のパリ五輪から帰国して以降、すれ違いが続いていたという。しかし、その破局を聞いた世間の声は、意外にも冷めていた。 《あんなに匂わせまくってたのに?》 《合コンで下ネタ連発報道もあったしね》 《酒グセ悪そうだからちゃんと別れてよかったじゃんって思うよね》 《もう落ち着かなきゃダメな年齢だね》 その冷めた声が上がる背景には、12月に報道された阿部の破天荒ぶりが影響しているのではないかと前出・芸能プロ関係者は指摘する。 大声で”下ネタコール” 「阿部さんが目撃されたのは12月の夜。よく行くという焼肉店で、柔道仲間とともに忘年会を開いていたようです。しかし、恋人の橋本さんは不在でした。その席で、阿部さんは他の人にも聞こえるほどの大声で男性器を連呼する“下ネタコール”を連発。近くにいた女性たちとも仲よく話す姿が目撃されており、モテモテだったようです」 恋人不在の中での盛り上がりぶり。オリンピックの金メダルを2大会連続で獲得し、柔道もプライベートもノリノリなのだろうか。 一方の橋本は、過去に出演した占い番組で結婚について触れたことがあった。しかし、その表情は消して晴れやかではなかったのだ。 「橋本さんは、2024年9月に放送された『突然ですが占ってもいいですか?』に出演。そこで、《今ちょうど結婚を考えるタイミング》と占われると《えー?!》と驚いた様子。 さらに、《今ためらったらあとで後悔する》《宣言したほうがいい》と占い師にアドバイスを受けましたが、《宣言できない!》と笑いながらも戸惑っていました。そのころから、彼に何か思うところがあったのかもしれませんね」(前出・芸能プロ関係者) お互いに、これからは仕事に邁進していくのだろうか。アツアツな関係は、そう長くは続かなかったようだ。

上沼恵美子「あれだけ大女優になってすばらしい」 姉があいさつされ喜んだ大物を激賞

タレントの上沼恵美子(69)が6日、パーソナリティーを務めるABCラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」に出演。女優泉ピン子(77)の対応をほめたたえた 上沼は昨年大みそかに放送された日本テレビ系バラエティー「史上最大32名×超高額自腹!!ピタリでたら1000万円大晦日もゴチになります!SP」にセレブチームの一員として出演。漫才コンビ、海原千里・万里を組んでいた姉の芦川百々子もサプライズ出演し、軽妙なトークで盛り上げた。 姉の出演について、「お姉ちゃんは私が一緒やったら出るんやって」と明かしつつ、「よー受けたなって思うんですよ。気を使っちゃうんでね。私自身が」と身内との共演が歓迎だったわけでもない様子。それでも、「楽しかったですけどね」と振り返り、「お姉ちゃんは楽しいないよ、家におっても。それは私も同様」と華やかな場所への参加を望んだ姉の気持ちを思いやった。 上沼は「『泉ピン子さんがあいさつしてくれた』言うて喜んでた。あの大御所が『お姉さ~ん』って言うてくれた」と、芦川が泉からあいさつされたことを喜んでいたと話しながら、「ピン子さんって大女優さんやけど、初めは私らの方が売れてたのよ。そんな時代知ってるんでね。ピン子さんも苦労してはりますけど、あれだけ大女優になってすばらしいなと思います」と泉をたたえていた

小林旭 5年前に元女優の妻が他界 「大丈夫」も脳腫瘍が判明し即入院手術から…息子に残した最期の言葉は

俳優で歌手の小林旭(86)が6日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。5年前に他界した妻で女優の青山京子さん(享年84)の最期を明かした。 司会の黒柳徹子は「料理上手で小林さんの健康管理をしてくれた奥様は元女優の青山京子さん」と紹介した。  「でも奥様は小林さんを支え続けたんですけれども5年前に」と明かすと、小林は「そうですね。いわゆるがんというやつで、闘ったんですが」と明かした。 京子さんは病気と分かる前は体調が悪そうな様子が1年ほど続き、日ごとにやつれていったため、小林が「おいどうした、何か悪いんじゃないのか」と尋ねても、京子さんは「大丈夫」と詳しく話そうとしなかったという。  「その時は脳腫瘍の状態で侵され始めてた。頭が痛くてしょうがないっていうのを娘に言ってたんです」と小林。娘が京子さんを脳外科へ連れて行ったところ、脳腫瘍であることが分かり「いきなり入院しなさいと」とすぐに手術を受けたとした。 しばらく面会はできなかったが、ようやく対面を果たすと、京子さんは「ごめんなさい、こんなことになっちゃって」と謝罪したという。迷惑をかけたことや、容姿を気にしての言葉だったが、そんな言葉が出て来るほど「神経を使う(気を使う)人でしたね」と回顧した。  「苦しくなってる時も僕に無駄な神経使わせたくないと言うことで、痛いとか疲れたとか一切言わなかった」とも話すと、「頑張り屋だって言ったら頑張り屋なんですけど。良し悪しなんですよね、考えてみたら。もっとはっきりと普通に言ってくれてれば、なんか打つ手があったんじゃないかなと思うことが多々ありましたけどね」と残念そうに話した。  京子さんはその後日常生活も不自由になり、字も書けなくなってしまったという。「最期の時は“それじゃあ明日ね”“じゃあ明日ね”“おやすみなさい”っていうぐらいな状態の、何気ない言葉を交わした状態で、その病院を後にした。その僕が後にした数時間後に最終的に…。今度は肺の方にがんが移ってて。結局最終的には肺がんという状態になって、血痰を吐いて終わりになったんですけれども」と打ち明けた。 最期は小林の代わりに見舞いに訪れていた息子が見届けたと言い、京子さんは息子に「とっても素晴らしい人生を過ごした。幸せだったよ私は」「ごきげんよう」との言葉を残したという。小林は息子の連絡で慌てて病院に駆けつけたが「その時にはもう冷たかったからですね」と語った。 小林は「よく分かりませんけれども、開けっ放しで何かを言って伝えてくれなかった分、寂しかったなと思うことが多々あります」ときっぱり。「自分のつらいところ、苦しいところは絶対に見せたくないと。こぼさなかったですね、何にも」とも語ると、「それはやっぱり後になればなるほど、切ないですよ」と寂しそうに話した。