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『「クマを殺すな」「山に返せ!」クマ駆除に抗議する人たち…ハンターから銃を取り上げた行政の怠慢「クマが私の上にのって頭を噛んでいる!」』by「みんかぶマガジン」


11月30日、秋田県秋田市のスーパーに侵入したクマがわなにかかった後に麻酔で眠らされ、その後駆除された。しかしこれが報じられると、市などに「人間の都合で殺すな」「山に返すべき」といった100件を超える抗議の声が寄せられたことが波紋を呼んだ。環境省によると、クマの被害を受けた人は昨年度、全国で219人と過去最悪で、去年12月の被害の67%は市街地で発生したという。それゆえ銃を扱うハンターの存在も重要になってくるのだが、市街地や住宅地で猟銃を使用することは、危険性が高いことから鳥獣保護管理法で禁止されているという。警察官の指示があった場合や捕獲者が緊急と判断した場合にかぎって使用が認められているものの、それでは増加するクマ被害の対策にはならない。作家でプレジデント元編集長の小倉健一氏が解決策を提言する――。

ヒグマハンターが突如銃所持の取消処分を受ける

北海道でヒグマ駆除に従事したハンターが、警察による銃所持許可の取り消し処分を受け、波紋を呼んでいる。

2018年8月、北海道砂川市郊外にヒグマが出没し、市の要請により、猟友会支部長でハンターの池上治男さんが駆除活動を行った。この際、目撃されたのは体長約80センチの子グマであり、池上さんは当初発砲不要と判断したものの、市の強い要請を受け、ライフルによる駆除を決断。現場では周囲の安全に十分配慮し、クマの背後に高さ8メートルの土手を確認した上で発砲し、致命傷を与えた。警察官や市職員も同席しており、発砲を問題視する者はいなかった。

しかし、2カ月後、突如警察が「建物に向かって撃った」として事件捜査を開始。結果的に不起訴となったものの、警察は池上さんのライフル4丁を押収し返還せず、公安委が所持許可を取り消す事態に発展した。池上さんは不服として行政不服審査を申し立てたが、却下されたため、2020年5月に処分撤回を求めて提訴。事件には共猟者の銃に跳弾が命中したとする主張も加わり、警察がこの説を受け入れた結果、池上さんの駆除行為が不適切とみなされた。

地域住民の安全を守るために行われた駆除行動が、警察の対応によりトラブル化し、猟友会の関係者からは「こんな対応では誰も発砲できなくなる」との懸念が広がっている。警察が何を考えているのかさっぱりわからないが、世界では今日もクマと人間が衝突し大事件を起こしている。日本のクマだけは世界と比べて「人間に優しい」ということはない。ハンターの存在を軽視するのであれば残念なことだ。

2024年12月12日

「クマを殺すな」「山に返せ!」クマ駆除に抗議する人たち…ハンターから銃を取り上げた行政の怠慢「クマが私の上にのって頭を噛んでいる!」

クマを殺すなという人は近くがクマの出る環境でもなきゃ、プーさんでも想像してるんやろか。そういう人たちにはぜひ隔離環境でクマとムツゴロウ氏ばりのふれあいを楽しんでくれ。捕まえたクマはその環境に放り込んでいって、中でしっかりクマに人里にこないように話し合ってほしい。

動物との共存と良く言われる。しかしその中身を本当に考えているのだろうか。人間の側から見た動物との共存とは人間に依る動物の生息域と頭数の管理を意味する。野生動物を保護しろ、増やせという事では断じてない。増え過ぎた動物は間引き生息域が人間の生活圏と重ならない様にする。人里で人畜や農作物に被害を与え楽にエサを摂る事を覚えた個体は例外無しに「処分」する。それが動物との共存。傲慢と言われようがそれが現実。現状、それが機能していないから地方の農村では野生動物が闊歩し農作物を食い荒らし農家の営農意欲を減退させまくっている。行きつく先は行政の怠慢だ。害獣の駆除をいつまで猟友会に頼るのか。頼るのなら頼るでもっとキチンと組織化し金も出す必要がある。

市職員と警察官が同席していて、しっかり監督の下指示を出してハンターに発砲して貰ったんですよね。これでなぜハンターの免許取り消しになるのか、理不尽を感じます。先に市職員と警察官が不適切な指示を出したとして懲戒免職になるならまだ理解出来ます。指示を受ける側だったハンターに全責任を押しつけてしまうとなると、誰も市や警察を信頼できなくなり、連携して害獣駆除というのが難しくなると思うのですが。組織の上層部はよく考えて今後の対応を検討してほしいものです。

熊さんに自分の子供が襲われた経験の有る人や被害を受けた事の有る人の前でも言えるのかな?けっこう被害に遭われた事の有る方も多いんじゃないかな?熊さんには何の罪もないのですが人の生存区域に入って来たらお帰りくださいって帰ってもらいましょう。しかし何度言っても聞き入れてもらえない時は申し訳ないですが美味しくいただかせてもらうしかありません。

「クマ駆除に関するご意見はこちらまで」という専用電話番号とメールアドレスを作ればいいんじゃない?電話番号の方は「完全自動応対(只今電話が込み合っています)」で職員にはつながらないようにすればいいし、メールについては放置でいい。窓口対応が必要なら、クマの出そうな山中に窓口をつくり、「担当者が来るまでお待ちください」の立て札だけ置いておいて放置。「話の通じない連中と話すだけ無駄」なんだから、そんなものの対応に職員のリソースを割かなくて済むような仕組みを作ろう。

コメ数1256、1位コメの「共感した」数は4834。「共感した」数が多い順に5つピックアップ。「クマを殺すな」「山に返せ!」クマ駆除に抗議する人たち…ハンターから銃を取り上げた行政の怠慢「クマが私の上にのって頭を噛んでいる!」12/12(木) 9:10配信のみんかぶマガジンの記事。

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