ソン・ヘギョと同じビジュアルを持つ日本の2K5女子学生の正体、「珍しくて見つけにくい」カリスマ性が人々を熱狂させる

多くの点で、アンナは韓国の国民的美しさと同一であると考えられています。 最近、エンターテインメント会社THE BLACK LABELの新しいガールズグループプロ ジェクトであるグループMEOVVの4番目のメンバーとして発表されたビジュアルアン ナに関する一連のビデオでK-POPファンが熱狂し続けています。その卓越した容姿と 豪華なカリスマ性で、アンナはすぐにネチズンの注目の的となり、その独特の強さで ファンコミュニティから「千の血の新人」というニックネームが付けられ、発売前か らメディアと巨大なファン層を魅了しました。デビュー。 アンナはデビュー前からその贅沢なカリスマ性でネチズンを熱狂させた。 したがって、アンナはそのエレガントで洗練された美しさでファンコミュニティだけ でなく、K-POPファンを驚かせました。大きな丸い目、高い鼻筋、セクシーな唇とい った完璧な顔立ちが、彼女の自然な美しさを際立たせています。彼女の穏やかで魅力 的なカリスマ性は、アンナを韓国の国民的美貌である女神ソン・ヘギョと簡単に比較 させます。 彼女の上品な顔立ちと、お金持ちの女性の高貴な雰囲気と優雅さは、多くの人が彼女 を「Z世代版ソン・ヘギョ」と呼ぶことに躊躇しません。 アンナの明るいビジュアルをクローズアップした多くのビデオは、数百万回の再生回 数を達成しています。   アンナは、魅力に満ちた容姿とカリスマ性を備え、韓国のエンターテインメント業界 の「宝石」のイメージを呼び起こす、有名な女性スターのより若くて現代的なバージ ョンであるという意見も多くあります。 アンナの美しさはソン・ヘギョとの比較にとどまらず、ツウィ(TWICE) やシャオテ イン (Kepler) など、K-POPアイドル界の傑出したビジュアルにも匹敵する。また、…

てんちむ、5億円損害請求裁判の結果に言及「圧倒的敗訴」にXアカウント名変更

【モデルプレス=2024/12/16】YouTuberのてんちむが2024年12月16日までに、自身のX(旧Twitter)を更新。アカウント名を「圧倒的敗訴」に変更し、裁判結果に言及した。 ◆てんちむ「圧倒的敗訴」とアカウント名変更 てんちむは16日までにアカウント名を「圧倒的敗訴」と変更。更新された投稿では「裁判結果ですか?お察しください」と言及している。 てんちむは、2020年に豊胸していた事実を隠しながらバストアップ効果があるとしてナイトブラをプロデュースし、その後3億5000万円の返金対応を行った。2023年9月から2024年4月まで活動を休止していたが、全活動を復帰した2024年5月にはその騒動である会社との裁判が続いており、5億円にものぼる巨額の損害賠償支払いを求められていることを報告。6月には自己破産も検討していることを明かしていた。(modelpress編集部)

《私には帰る場所がない》ライブ前の入浴中に突然…中山美穂さん(享年54)が母子家庭で過ごした知られざる幼少期「台所の砂糖を食べて空腹をしのいだ」

あまりに突然の出来事だった──12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。 所属事務所は12月8日、中山さんの公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました」と発表し、死因は「入浴中の不慮の事故」と伝えた。 1980年代半ばから90年代にかけ“ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんだが、生前、幼少期のエピソードについてはあまり語らなかったとされている。【前後編の前編】 そんな彼女も、2012年の自著『なぜなら やさしいまちが あったから』(集英社文庫)で自身の幼少期や家族について赤裸々に綴っていた。その中には、当時の暮らしぶりを表したような一節がある。 〈はじめましてとさようならはいつもセットだった──〉 “別れ”の連続だった幼少期 さかのぼること1970年3月、中山さんは長野県の自然豊かな町で生まれた。ある芸能記者は言う。 「ご両親は地元でスナックを経営されていたようです。中山さんが3歳の頃におふたりは離婚しており、彼女には実父の記憶がほとんどないといいます。その後は実母と妹で女優の中山忍さん(51)と東京へ引っ越しましたが、母子家庭のためか生活が苦しく、中山さんは台所の砂糖を食べて空腹をしのいだこともあったそう。 上京してほどなくお母さんが昼夜問わず働き詰めになり、ほとんどの時間を親戚の自宅で過ごすことになりました。 芸能界については幼稚園に入るころからすでに憧れがあったようで、親戚の家では段ボールの上に乗って『キャンディーズ』や『ピンク・レディー』の曲を歌っていたこともあったとか」 のちに中山さんはこの親戚を、トーク番組『A-Studio』(TBS系)で“育ての親”だと述べている。なかでも叔父にあたる男性については「本当の父親のように家族の一員として接してくれました」と語っており、忙しい母親に代わって愛情を注いでくれる大切な存在だったようだ。 そんな“第2の父”ともいえる男性だが、中山さんの世話をしている間に若くして亡くなってしまう。幼少期の短い間で二度も“父親”を失う体験をした中山美穂さんは、前出の自著でもその存在と自身の恋愛観を重ねてこう振り返っていた。 〈思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた〉 この失望から束の間、中山さんにとって大きな出来事が起きる。 「中山さんが10歳くらいの頃、お母さんが秋田県出身の男性と再婚し、一緒に暮らすようになった。1982年にはその義父との間に弟も生まれており、その頃の中山さんは子どもながらに『寂しいけど、長女だからしっかりしないと』と感じていたようです。 また両親の仕事の関係で、都内で何度も引っ越しを繰り返していたことから友人と呼べる人がほとんどいなかったともいいます。連載をしていた女性誌のエッセイでは、当時の生活を『帰る場所がなかった』というふうに語ったこともありました」

中山美穂さんの遺体に関する“空白の24時間”について、遺体管理の専門家が疑問を呈しました。

12月6日、自宅の浴槽で亡くなっていたのを発見された女優の中山美穂さん(享年54)。12日には家族葬が営まれ、妹で女優の中山忍が喪主を務めた。 パリから20歳の長男も駆けつけ、中山さんに対面。忍は、葬儀後にコメントを発表し、《私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です》と、別れを惜しんだ。 入浴中の不慮の事故であると発表されているが、細かな事情はわかっていない。 「中山さんは6日の夕方から、大阪市内でクリスマスコンサートを開催する予定でした。新幹線で移動するため、事務所スタッフとJR品川駅で待ち合わせをしていましたが、姿を見せなかったため、スタッフが自宅に向かい、浴槽の中で前屈みに倒れている中山さんを発見しました。すぐに119番通報し、駆けつけた医師が死亡を確認したため、警察に通報したとのことです。湯は張られていたそうですが、すでに水になっていたと聞いています。事件性はありませんが、『急激な温度変化によるヒートショック』なのか、『体内にアルコールが残っていたことによる溺死』なのか、さまざまな可能性があるため、8日に解剖がおこなわれ、その後、自宅に戻りました。解剖の最終的な結果が出るまでしばらくかかるようです」(社会部記者) さらなる事故を防ぐためにも、原因究明が待たれる。ところが、ある“不審点”を指摘する人物がいる。遺体管理学の権威で、中国・長沙民政学院の伊藤茂教授だ。 「今回、中山さんの遺体は、『調査法解剖』を受けたと報じられています。しかしこの解剖は、法の趣旨に照らすと、東京都内でおこなわれるべき解剖ではありません」 そもそも、解剖には法律上、3種類あるという。 「まず『司法解剖』。これは、事件性があると捜査機関が判断した場合におこなうもので、今回は関係ありません。次に『行政解剖』です。これは、遺体の死因究明を目的とするもので、死体解剖保存法に基づき、遺族の承諾なしに実施できます。ただし、行政解剖をおこなえるのは監察医のみ。現在、監察医が置かれているのは東京23区と大阪市、横浜市、名古屋市、神戸市のみです。それ以外の地方では、行政解剖に準じるものとして、遺族の同意を取ったうえで、大学の医学部に設置されている法医学教室に解剖を依頼します」(伊藤教授・以下同) そして3番めが、今回の調査法解剖だ。 「これは2013年に施行された『死因・身元調査法』という法律に基づいた解剖です。“新法解剖”とも呼ばれており、監察医のいない地域でも、遺族の承諾なしに解剖ができるようになりました。しかし、逆にいえば、すでに監察医がいて、行政解剖がスムーズにできる東京都内では不要なんです」 あえて調査法解剖を選ぶことで、生まれる弊害もあるという。 「行政解剖の場合、解剖をおこなう監察医務院は、解剖の専門施設として、すぐ対応できるようになっています。しかし調査法解剖は、大学の法医学教室に頼む都合上、大学の予定に左右されます。今回の場合も、中山さんの遺体は12月6日に渋谷署に運ばれたようですが、実際に解剖がおこなわれ、遺族のもとに帰ったのは8日です。つまり、12月7日の“24時間”は渋谷署の霊安室に置かれたままだったということです。行政解剖であれば、7日中に解剖を済ませ、遺族のもとに帰ることができたはずです」 ではなぜ、わざわざ不都合な解剖がおこなわれることになったのか。伊藤教授は「いくつか原因を推測できる」と語る。 「行政解剖をおこなう監察医務院は『行政』という言葉のとおり、東京都の管轄です。つまり、都が主導権を持つことになります。一方、調査法解剖は、警察署長の判断で大学に依頼するため、主導権は警察が持つことになります。中山美穂さんの死去という“大事件”を、自分たちで牛耳りたいと考えたのかもしれません。 また、調査法解剖は2013年にできた、比較的、新しい制度です。あえてこれを利用することで、新制度の周知をはかったのかもしれません。ただ、遺族としては1日も早く解剖を済ませて、遺体をそばに戻してほしいと願うのが普通でしょう。警察のエゴでこのような解剖を選んだのだとすれば、問題だと思います」 なぜ、わざわざ中山さんの解剖を遅らせるような対応をとったのか、警視庁に質問状を送ったところ、 「個別の案件については、お答えを差し控えさせていただきます」 との回答だった。 一方、今回“スルー”された形になった東京都監察医務院に確認したところ、 「私たちに行政解剖か調査法解剖かを決める権限はなく、警視庁が決めることなので、何も申し上げることはありません」 と回答した。 「どんな事情であれ、まずは遺族の希望を最優先にするべきだと思います」(伊藤教授) 異例づくめなのは、中山さんらしいのかもしれない。

中山美穂さんと同期デビューの工藤静香、訃報当日の“悲痛なお願い”と田原俊彦を巡っての“すれ違い”の過去

ともに1985年(昭和60年)に芸能界デビューを果たした“同期”だった──。 《Iпstagramは、はしゃいでる写真やビデオがいっぱいなので、今回の突然の訃報はそんなところに追悼のコメントを並べられなかった》 ファンに向け、同期の訃報についてそのようなメッセージを送ったのは工藤静香。 「静香さんはスポーツ紙1紙のみに追悼コメントを寄せていますが、ファンクラブサイトでは、それとは別にファン向けのメッセージを出しています」(芸能プロ関係者) 「親友といっていい関係性だった」 12月6日、俳優・歌手の中山美穂さんが亡くなった。54歳だった。突然の訃報に世間やネット、S NSでは悲しみの声であふれている。それは中山さんが40年の月日を過ごした芸能界も同様で、多くの共演者やスタッフらが哀悼のコメントを発表している。 そのなかの1人、静香は中山さんと同じ1985年にアイドルグループ『セブンティーンクラブ』のメンバーとしてデビュー。同年に中山さんはTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』でデビューしている。中山さんの初出演(ドラマ放送日)は1月8日、静香のレコード発売日は1月21日と、ほとんど同タイミングで芸能界に入った。ともに14歳だった。 「静香さんは最初のグループが振るわず解散した後、『おニャン子クラブ』に。 “ヤンキーキャラ”が受け、注目されるようになりました。 中山さんはアイドル歌手としてもヒットを飛ばし、デビュー年に出演した映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで注目の新人女優に。1987年には出演したTBS系ドラマ『ママはアイドル!』で演じた役柄・中山美穂の愛称“ミポリン”がそのまま本人の愛称として定着しました」(芸能ジャーナリスト) その後、静香はおニャン子クラブの派生ユニット『うしろ髪ひかれ隊』で活躍し本格的にブレイク。中山さんと静香、そして南野陽子と浅香唯を加えた4人は“アイドル四天王”と称された。 「中山さんと静香さんの2人は1987年にフジテレビ系のドラマ『おヒマなら来てよネ!』で共演。それをきっかけに公私ともに親交を深めていきました。それはプライベートでも2人で遊びに行くような親友といっていい関係性だった」(前出・芸能ジャーナリスト、以下同) 1980年代後半から1990年代初頭にかけて、中山さんは当時全盛期だった男性アイドル・田原俊彦との熱愛が幾度となく報じられた。半同棲、ハワイ旅行などなど。そんななか……。

中山美穂さん、1月放送「家政夫のミタゾノ」第1話メインゲストで出演「撮影はすべて終了」

テレビ朝日は16日、今月6日に亡くなった中山美穂さんがテレビ朝日系連続ドラマ『家政夫のミタゾノ』第7シーズン(来年1月14日スタート 毎週火曜 後9:00)の第1話メインゲストに出演していると同ドラマ公式サイトで発表した。 サイトでは「12月6日に中山美穂さんが逝去されました。『家政夫のミタゾノ』には、来年1月14日放送の第1話のメインゲストとして、中山美穂さんにご出演いただきました」と説明。「撮影はすべて終了しており、役柄等詳細につきましては後日改めて解禁を予定しております」と伝えた。 「あまりにも突然の訃報に、キャスト・スタッフ一同驚きと悲しみに包まれております。中山美穂さんへの深い感謝とともに、心よりお悔やみ申し上げます」と追悼している。 来年1月14日スタートの『家政夫のミタゾノ』第7シーズンは、松岡昌宏が主演する。女装した大柄な家政夫・三田園薫(通称:ミタゾノさん/松岡)が、派遣された家庭・家族の内情をのぞき見し、そこに巣食う“根深い汚れ”までもスッキリと落としていく、痛快“のぞき見”ヒューマンドラマシリーズ。2016年10月クールにスタートして以降、同局を代表する人気ドラマシリーズとして定着している。今回も伊野尾慧演じる若き家政夫・村田光や余貴美子演じる『むすび家政婦紹介所』の所長・結頼子、平田敦子演じる阿部真理亜、そしてしゅはまはるみ演じる式根志摩といったおなじみの家政婦仲間たちも続投し、安定の“ミタゾノワールド”を展開する。

中山美穂さん、メインゲスト出演の『家政夫のミタゾノ』第1話は予定通り放送 役柄など詳細は後日発表

テレビ朝日が番組公式サイトで発表 今月6日に東京・渋谷の自宅で亡くなっていた俳優・中山美穂さん(享年54)の出演ドラマについて、テレビ朝日が16日に発表。連続ドラマ『家政夫のミタゾノ』の第1話のメインゲストとして、撮影は終了していたという。 松岡昌宏主演の『家政夫のミタゾノ』には、1月14日放送の第1話のメインゲストとして出演。役柄などは後日発表ととしている。 番組公式サイトの全文は以下の通り。 「12月6日に中山美穂さんが逝去されました。『家政夫のミタゾノ』には、来年1月14日放送の第1話のメインゲストとして、中山美穂さんにご出演いただきました。撮影はすべて終了しており、役柄等詳細につきましては後日改めて解禁を予定しております。 あまりにも突然の訃報に、キャスト・スタッフ一同驚きと悲しみに包まれております。 中山美穂さんへの深い感謝とともに、心よりお悔やみ申し上げます」ENCOUNT編集部

天皇皇后両陛下が能登の豪雨被災地に出発 今年3度目の能登お見舞いで避難所もご訪問へ

天皇皇后両陛下が、9月に発生した能登半島の豪雨被災者を見舞うため、特別機で石川県に到着されました。両陛下の能登半島訪問は、今年に入ってから3回目となります。午前10時頃、羽田空港に到着された両陛下は、関係者と挨拶を交わした後、特別機で野空港へ向かいました。 両陛下は、元日の地震と9月の豪雨に苦しむ能登の人々の心と体の健康を深く憂慮されています。この度の訪問では、厳しい寒さの中で不便な暮らしを強いられている方々に寄り添う姿勢が示されています。 到着後、両陛下は車で和まを訪れ、大雨による川の氾濫現場を視察されました。また、避難所を訪問し、被災者たちに声をかけると共に、救助や復旧にあたった関係者を労う予定です。このような訪問は、被災者に希望を与え、地域の復興に向けた支援の重要性を再確認する機会となります。 両陛下の訪問は、地域住民にとって心の支えとなり、復興に向けた力強いメッセージを送るものです。能登半島の人々が早期に平穏な生活を取り戻せるよう、国民の期待が寄せられています。

中山美穂さん発見時の様子 社長語る(デイリー新潮)

「社員から私に電話があって」 【前後編の前編/後編からの続き】中山美穂さんのトシちゃんとの“ハワイ逃避行” 当時のマネージャーは「上手にやってくれればよかった」 今だから話せる“秘話”とは あまりにも突然の報せだった。女優・中山美穂さんの死。14歳でドラマに初出演、スターダムへと駆け上がった。「月9」でヒロイン役を演じること歴代最多。時代を彩ったスターの来し方を振り返る。 救急車がサイレンを街中に響かせ、東京・渋谷区内の7階建てビルの前に到着した。時間は12月6日正午ごろ。5階までは芸能事務所や撮影スタジオが入居しているが、救急隊員は6階へ。近隣住民は商業ビル然とした外観からそうとは知る由もなかったが、部屋の主は中山美穂さんだった。 中山さんの所属事務所で、バーニングプロダクション傘下の「ビッグアップル」社長、鈴木伸佳氏が当日の様子を語る。 「美穂は夕方から大阪市内でのコンサートを予定していました。担当の女性マネージャーと品川駅で待ち合わせており、運転手役の別の社員が朝9時に自宅まで迎えに行っていたのです。ところが、社員から私に電話があって“1時間待っても出てきません。電話も鳴りっぱなしです”と」 時計の針は午前10時を少し回っていた。 「心配して、自分も自宅に向かいました。ただ、あそこは特殊でね。エレベーター専用の鍵がないと上に行けない仕組みです。それで、美穂が合鍵を預けていた知人女性に鍵を借りねばなりませんでした。美穂は猫を2匹飼っていて、遠征の時などに代わりに餌をあげてもらうため、鍵を預けていたんです」(同) 部屋に足を踏み入れると…… 担当者が鍵を携えて自宅前に戻ったのが11時半ごろ。鈴木氏は担当者と二人でワンルーム・72平方メートルの部屋に足を踏み入れた。 「ひと通り部屋を見回しても美穂の姿が見当たらず、 もしやと思って、浴室の扉も開けてみたんです」 そこに彼女の姿があった。 全国紙の社会部デスクが言う。 「救急隊員が現場に到着した時点で、すでに死後硬直が始まっていました。隊員は蘇生不可能な“社会死”と判断。病院への搬送は行っていません。警視庁は当初、自殺および事件の線も含めて捜査しましたが、ご遺体には目立った外傷もなかった。解剖の結果、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものであると結論付けられています」 複雑な生い立ち 主役を演じた恋愛映画「Love Letter」(1995年、岩井俊二監督)がアジア圏で人気を博した彼女の訃報は、中国や韓国でも大きく取り上げられた。 生まれは70年3月1日、長野県。生い立ちは複雑で、幼少期に両親が離婚。母親に伴われて3歳のとき、まだ生後間もない妹の忍(51)とともに上京した。一時期までは都内の伯母夫妻の元に身を寄せる生活を送ったという。 中山さん自身、2009年に刊行したエッセイで、こんなふうにつづっている。 〈母子手帳には母の名前しかなかった。戸籍などを見ても現実と同じように実父の名前はない〉 〈母は実父のことに関して、私が幼いころに一度だけ、亡くなってしまった、と言ったきりなにも教えてはくれませんでした。(中略)年月がたち、パリに来てくれた母が、これまでいっさい話してくれることのなかった私の父親のことを初めて少しだけ語ってくれました〉 小4の時分に母親が再婚し、小中学校時代に数度、転校も経験している。 「初回放送前日、“見てくれますかね”と心配していた」 芸能界入りのきっかけは、中1の春、原宿でスカウトされてモデルとなったこと。 転機は中3の3学期に訪れた。85年1月8日、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビューを果たしたのだ。 中山さんの初代マネージャーでビッグアップル創業メンバーの一人、岡嶋康博氏が述懐する。 「作品は思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマでした。初回放送の前日、彼女が“見てくれますかね”と心配していたのを覚えています。初回放送後、二人で街を歩いていると“あれ、のどかじゃないの”という女子中高生の声が聞こえてきて、私たちは驚きました。そんなに反響があるなんて、思ってもいなかったのです」…

46歳お笑い芸人が激怒の告白、離婚した元タレント妻を名誉毀損で訴えていた「流石に舐め過ぎ」

お笑いコンビ、流れ星☆のたきうえ(46)が18日までに自身のブログを更新。20年1月に離婚した元タレントの小林礼奈(あやな)氏(32)を名誉毀損(きそん)で訴えていたことを明かした。 「小林礼奈氏の僕に対する謝罪文について説明します」の題名の文章をアップ。「小林氏のブログの内容について意味が良く分からないと思うので説明させて下さい」と前置きした上で「実は小林礼奈氏を名誉毀損で訴えていたのですが、小林氏のブログのメッセージボードに謝罪文を半年間掲載する。という事で和解しました」と告白した。 「しかし、小林氏のブログに何の説明も無く謝罪文の雛形の写真を貼っただけで約束のメッセージボードには未だに謝罪文は載せられていません。さらに名誉毀損したブログも未だに削除されていません」とした上で「和解した約束を完全に破っている現状です。こちらとしては穏便に済ませたかったから和解したのに、和解条項すら破るのは流石に舐め過ぎています」と怒りをあらわにした。 そして「小林さんへ、ただちにメッセージボードに謝罪文を載せ、問題のブログを削除して下さい。さらに『市議会議員立候補取り消ししたのは僕のせい』などという嘘のブログに対しても即刻訂正謝罪文をメッセージボードに掲載し、ブログを削除して下さい。3日以内に行わなかった場合、こちらも名誉毀損で訴えたいと思います」と投げかけた。 さらに「今までは娘の為に何も言わず我慢していましたが、我慢した所で小林さんをつけあがらせて僕の印象が悪くなっていくだけでした。これからは僕の名誉の為に戦いたいと思います」と宣言した。