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「長男は毎晩ぬいぐるみを涙で濡らし…」急逝の中山美穂さん、辻仁成氏との離婚で“母子断絶10年” 残された遺産の行方

12月6日に54歳の若さで亡くなった歌手で女優の中山美穂さん。アイドルとして昭和末期を駆け抜け、“ミポリン”の愛称で呼ばれた彼女がこの10年、ずっと想い続けていたのが一人息子の存在だった。

2002年に芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚した中山さんは、2004年に長男を出産。2014年の離婚以降、長男と会うことは叶わなかった。しかし、葬儀を終えた中山さんの妹で女優の中山忍(51)は以下のようにコメントした。

フォトギャラリー1枚目 【追悼】多くの俳優仲間とワイワイ楽しげに…歌手で女優の中山美穂さん 本誌が見た15歳からの軌跡 | FRIDAYデジタル

《何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間を持たせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした》

中山さんの訃報後、20歳となった長男はパリから駆け付け、亡き母と10年ぶりの再会を果たしていた。なぜ、母と子の再会に10年という長い時が経ってしまったのか。

「中山さんは辻さんと結婚後、フランス・パリに移住しました。しかし、離婚協議中の2014年5月に音楽家の渋谷慶一郎氏との密会が報じられました。彼女はのちに“親権を譲ることが離婚の条件だった”と明かしていますが、一部からは『自分勝手』『恋愛依存体質』などと彼女の選択に批判的な声が上がりました。“家庭を捨てた母”というイメージが残り、芸能活動に支障もあったようです」(スポーツ紙記者)

2014年7月に離婚が成立し、親権を取った辻氏は離婚当時の心境を自身のブログでこう綴っている。

《ぼくは幼い息子の手を引いて、とにかく、世界中を旅しました。そうすることで、強くなれる、としんじていたようなところがあります。離婚の直後、味方は少なかった。だから、父子のきずなを強くしないとならなかったのです。ある種残酷な世界で生きてきたので、守らないと壊れてしまいそうだったから…》

「辻さんは中山さんの不倫が報じられると、10歳だった息子さんがそういった情報に触れないように苦労したそうです。息子さんの中にある“母・中山美穂”への想いを守りたかったのでしょう。離婚を機に10歳で突然、母がいなくなった息子さんは、毎晩抱きながらテディベアのぬいぐるみを涙で濡らす日々でした。

そんな育ち盛りの息子のために、辻さんは毎朝5時半に起床してお弁当を作り続けたそうです」(芸能プロ関係者)

辻氏のブログによると、中山さんの息子は現在、身長175センチで中学と高校時代はバレーボールの大会でメダルを獲るほどのスポーツマンに成長。大学に進学した彼は「目は父親似」だという。

遺産は息子に引き継がれるか
一方、離婚後、独身生活を送っていた中山さんは、自身のバンドメンバーで9歳年下のベーシスト・永田雄樹氏と交際していたが、いつの日も息子のことを気に掛けてきた。

《次にいつ息子と会えるかは父親の判断なのですが、いつもいつも愛していることは伝えているし、できるだけそばにいることも伝えています。私にできることは限られているかもしれない。でも、できることは本当にすべてしてあげたいと思っています》(『Numero TOKYO』2015年1・2月合併号)

関係者は、中山さんには歌唱印税などの遺産が生じる可能性があると指摘する。

「1992年にリリースされ、200万枚超えるヒットとなったWANDSとのコラボ曲『世界中の誰よりきっと』の作詞は上杉昇さんと中山さんの共同名義です。彼女は1993年のNHK連続テレビ小説『ええにょぼ』の主題歌『幸せになるために』も共同で作詞を手掛けています。

また浜田雅功さんと共演した1994年のドラマ『もしも願いが叶うなら』(TBS系)の『ただ泣きたくなるの』作詞も連名で携わっています。約40年にわたる芸能活動の中で、彼女は数多くのヒット曲を歌い、20曲以上の作詞などを担当しました。それらの印税は長男にも相続する権利があるそうです」(同前)

残された遺産は愛する息子への愛の証なのかもしれない。

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《明石家さんまの声が聞こえない…!》「もう寿命くるやろ」冠番組初の“テロップ対応”も…自身の喉の不調に「辞めなしゃーない」

あの“お笑いモンスター”に異変が起こっている──。7月20日から21日にかけて生放送された『FNS 27時間テレビ』(フジテレビ系)に、5年ぶりに出演したお笑い芸人・明石家さんま(69)。 「声が枯れすぎて聞こえない」「声カッスカス」「全然聞こえない」──などとSNS上で話題となったのは特徴あるしゃがれ声の不調についてだ。この日はコーナーの冒頭から声に”違和感”があった。あるスポーツ紙記者が語る。 「さんまさんはラジオ番組『MBSヤングタウン土曜日』で、この日生放送のスタジオに向かう途中、運転しながら松山千春さんの『大空と大地の中で』を歌っていたところ、いきなり声がかすれたと明かしています。本人も『おかしいな』と感じつつも、声が出にくい状態で番組にのぞんだため、後輩芸人たちからとても心配されたようです。 また同月23日に収録した『(踊る!)さんま御殿(‼︎)』(日本テレビ系)でも、ほとんど声が出ない状態だったという話です。オンエアの際には、さんまさんの声にテロップが入るという番組史上初の対応となり、SNS上では〈さんまさん大丈夫か〉〈病気を心配するレベル〉などの声が多く寄せられました」 その後、さんまは『さんま御殿』で、声の不調について、「2週間くらい前から寝るときに冷房をつけていた」と説明し、エアコンをつけるのを止めてからは声の調子が落ち着いたとも話していた。 直撃に「もう(声の)寿命くるやろ」 この騒ぎからまもなく5ヶ月──12月1日放送の『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ系)でVTR用のインタビューに応じたさんまだったが、またもや声を出しづらそうな様子を見せていた。実際の映像を見ると、ナレーションでは「この日は何十年に一度の声ガスガスの日だったが、インタビューを決行」と説明があり、さんまが喉をケアするスプレーを使うような一幕も映っている。 SNSでふたたび心配の声があがるなか、NEWSポストセブンは12月某日、さんまの姿を渋谷区内でキャッチ。“喉の不調”について本人に直接尋ねた。 ──さんまさん、突然すみません。 「おう、誰や」 ──『NEWSポストセブン』です。 「あいよ、何や」 ──夏ごろから喉の調子が悪いと心配されていますが、最近はいいがですか。 「知らん、こんな声や。もう行くど」 ──喉の調子はいいですか。 「ずっと普通や。どうや、悪いやろ」 ──しっかり話されている感じがしますが、ご自身としては不調ですか。 「これ声じゃないみたいやろ俺の。もう20年前から」 ──「50歳のころに医者から180歳の声と言われた」とおっしゃっていましたが、あれから病院には通っていますか。 「行ってない行ってない、このままや。んだからもう(声の)寿命くるやろ」 そう持ち前のサービス精神で答えてくれたさんま。直撃すると、時間さえあれば記者の質問に応じてくれることで有名だが、この日も笑顔を交えつつの“神対応”だった。続けてこう答えた。

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