Japan News

湘南が鹿島MF藤井智也の獲得発表 「湘南のために走れる、戦える選手になる」

J1湘南は24日、鹿島からMF藤井智也(26)が完全移籍で加入すると正式発表した。

藤井は爆発的なスピードと積極性を生かしたドリブルが武器のサイドアタッカー。立命大、広島を経て23年に鹿島入りし、今季は主に途中出場で25試合2得点1アシスト。トップスピードはリーグ1位タイの時速35.4キロを記録した。

湘南は山口智監督の来季続投が決定的。さらなる上位進出を目指す就任5季目のシーズンへ、期待の戦力となりそうだ。

クラブを通じた藤井のコメントは以下のとおり。

厳選ショット】新潟が先制するも藤井智也の強烈ミドルでドロー決着!|J1第18節 鹿島 1-1 新潟 | サッカーダイジェストWeb
「湘南ベルマーレに関わるすべての皆さん、はじめまして、藤井智也です。2025シーズンからともに戦います。謙虚に、地に足をつけて努力し続けます。『湘南のために』走れる、戦える選手になっていきます。皆さんと会える日を楽しみにしています。よろしくお願いします!」

また、鹿島を通じてのコメントは以下のとおり。

「湘南ベルマーレに移籍することを決めました。まずは2年間、ありがとうございました。最終節のホーム町田戦、ベンチからピッチに立つ選手たちの熱いプレーと、サポーターの方々の迫力ある応援を間近で感じ、このチームでアントラーズファミリーと一緒に戦っている光景に興奮してました。改めて、すごいクラブだなと実感しました。この雰囲気でサッカーができることは幸せなことで、当たり前でないことは分かっています。しかし、一選手としてプレーでチームの勝利に貢献するため、自分自身をもっと確立したいという気持ちもあり、葛藤して決断しました。アントラーズに加入してからたくさんの経験をし、色々な感情を味わいました。そして、皆さんからたくさんの力をもらいました。自分の決断を信じ、次のステップで戦いたいと思います。本当にありがとうございました!」

◇藤井 智也(ふじい・ともや)1998年(平10)12月4日生まれ、岐阜市出身の26歳。長良高から立命大に進み、4年時の20年に広島の特別指定選手としてJリーグ初出場。翌21年に広島に加入した。23年に鹿島に完全移籍。J1通算118試合5得点。1メートル73、68キロ。利き足は右。

Related Posts

松岡昌宏、芸能界入りのきっかけは香取慎吾と観月ありさ 「いなかったら俺はいない」

少年時代、光GENJIに憧れて芸能界入りしたTOKIOの松岡昌宏。履歴書を送るための背中を押した、同学年のタレントを明かし…。 ■「芸能界に入ろうと思ったきっかけは…」 チャンネル開設第1弾の前回に引き続き、普段から飲み歩いているという六本木の大衆居酒屋でロケをする松岡は、20年以上飲み仲間だという女優・観月ありさに言及。 彼女は「単なる友人」以上の存在だそうで、「あの六本木の駅に行って、俺が芸能界に入ろうと思ったきっかけは、観月と香取慎吾」「(2人が)いなかったら俺はいないからね」と、芸能界入りのきっかけになっているとも明かした。 ■2人が「行動力をくれた」 松岡は続けて、「この世界に入りたいなーって思ってたときに、『大人にならないと芸能人になれないんだ』って思っていて」「小学校5年くらいかな? TVで観月ありさを見て、6年生になるくらいのときに慎吾を見て、『えっ! できるんだ同い年でも』って思って」「『じゃあ(履歴書を)送ってみよう』ってなって入ったから」と告白。 自身と同学年の観月と香取が幼くして活躍する姿を見て、芸能界入りを決断したと激白した。 これまで、松岡は光GENJIに憧れて芸能界入りしたことを公言していたが、「もちろんきっかけは光GENJIを見て入りたかったんだけど、その(履歴書を送る)勇気というか、行動力をくれたのはあの2人だね」と、観月と香取の存在が背中を押したと語っている。 「一緒にいるとがっかりする…」好かれない人がしれっとやりがちなこと ■秘蔵エピソードに反響 この秘蔵エピソードは反響を呼び、コメント欄には「話が面白くてずっと聞いていたい」「香取慎吾の名前出てきて嬉しかった」「香取くんと飲むところ見てみたい」といった声が。 特に、今でこそ別々の事務所なものの、かつてはTOKIOとSMAPとして国民的グループであった香取のエピソードが注目を集めている。香取もビール好きで有名なだけあり、いつかゲストとして飲み交わす企画も期待したい。

中山美穂のバーニング事務所によって隠蔽された遺書の内容…事務所が殺したと言われる鬼畜契約の実態に涙腺崩壊!『ミポリン』と元夫・辻仁成が実は強制離婚だった真相に言葉を失う!

中山美穂さんが自宅浴室で亡くなっているのが発見されたのは12月8日で、前日の7日にはインスタグラムを更新していたことが確認されています。この突然の悲劇に多くのファンや関係者が驚きを隠せません。しかし、彼女の死因にはさまざまな憶測が飛び交っており、特に所属事務所であるバーニングプロダクションの影響について注目が集まっています。 公式な発表によれば、警視庁は中山美穂さんの死因を入浴中の不慮の事故とし、事件性はないと判断しています。しかし、彼女が発見された際の状況や、長年にわたる苦悩や孤独の影響があったのではないかという見方もあります。中山さんは商業ビルの6階に住んでおり、彼女の生活はバーニングパブリッシャーズが関与していました。バーニングは芸能界で強大な影響力を持つプロダクションで、その背後には多くの闇が存在するとされています。 中山さんは2014年に元夫・辻仁成さんと離婚し、その後の芸能活動ではバーニングのサポートを受けていました。彼女は音楽活動に力を入れ、2024年にはデビュー39周年を迎える予定で、ファンに向けてのコンサートも計画していました。しかし、最近の彼女は自らの存在に対する否定的な感情を漏らすことが多くなり、心の健康が心配されていました。 中山美穂さんの人生の中には、表面上の成功とは裏腹に深い孤独や苦しみが存在していました。特に、離婚後の心の痛みや、アルコールに依存するような状況に悩まされていたとされます。彼女は周囲の人々に対して「私なんかいなくなっても誰も悲しまない」といった言葉を口にすることがあったと言われており、その言葉には彼女の心の深い闇が反映されているように感じられます。 また、中山さんの元夫である辻仁成さんとの関係も注目されています。彼は自身の小説の中で中山さんとの結婚生活や、バーニングとの関係について触れています。辻さんは、業界の厳しい現実から逃れたいという中山さんの思いを理解し、彼女を守るために奔走していたことを示唆しています。 中山美穂さんの死は、彼女の人生における光と影を象徴しています。彼女が抱えていた苦しみや孤独、バーニング事務所との複雑な関係性は、今後も多くの人々に影響を与えることでしょう。中山美穂さんの突然の死を受けて、芸能界の闇や、彼女を支えた人々の思いが再評価されることが期待されます。

「世界一美しい」桐谷美玲、誕生日祝いのプライベートショットを大放出 豪華メンバーぞろぞろに「関係性が素敵」

女優の桐谷美玲が25日までに自身のインスタグラムを更新。誕生日祝いのプライベートショットを公開した。 16日に35歳の誕生日を迎え「誕生日たくさんお祝いしてもらいました。みなさま、本当にありがとうございます」と報告し、感謝をつづった桐谷。女優・河北麻友子との2ショットや大政絢ら友人らそれぞれに祝われた時のショットをアップした。 この投稿には「美玲さんの幸せそうなお顔がたくさん見られて嬉(うれ)しいです」「関係性が素敵(すてき)すぎてオフショ見てもとてもほっこりしました」「世界一美しい美玲さん!」「祝福されてる姿が沢山(たくさん)見れて幸せ」などの声が集まっていた。

38歳吉本人気芸人がイブの夜に電撃結婚発表「来年、パパにもなる予定です!」祝福相次ぐ

お笑いコンビ、インポッシブルのひるちゃん(38)が24日夜、Xを更新。自身が結婚し、来年子供が生まれることを発表した。 インポッシブルのひるちゃん(38)が24日夜、Xを更新。自身が結婚し、来年子供が生まれることを発表した。 ひるちゃんは24日、東京・ルミネtheよしもとでインポッシブルの単独ライブを開催。23日のポストで「ガチでやばい重大発表あります。ガチなやつです。絶対来て」などと何らかの発表を予告していた。 そして24日夜の投稿で、派手なクリスマスツリーの横に笑顔で立っているショットを掲載し「みなさん!メリークリスマス!! インポッシブル単独ライブ『クリスマックス』&『ひるちゃんBAR』ありがとうございました!! そして、この度インポッシブルひるちゃんは結婚しました!! 来年、パパにもなる予定です!! 今後ともよろしくお願いします!!!」と自身の結婚と相手の妊娠も明かした。 この投稿に「わぁぁぁぁおめでとうございます そして来年パパ!」「お幸せに」「めでたい!」「ひるちゃんの驚きの発表に泣きそうになりました~」「パパ頑張って!」「ひるちゃんステキなパパになりそうですね」などと祝福の声が相次いでいる。 ひるちゃんは05年4月、NSC(吉本総合芸能学院)東京校10期生のえいじとインポッシブル結成。「R18グランプリ2017」優勝、AbemaTV「笑根グランプリ」優勝、有吉の壁「男版『THE W』」2020優勝などの受賞歴があり、キングオブコントでは13年~16年準決勝進出、17年~20年に準々決勝進出している。吉本興業所属。メリークリスマス!! インポッシブル単独ライブ『クリスマックス』&『ひるちゃんBAR』ありがとうございました!! そして、この度インポッシブルひるちゃんは結婚しました!! 来年、パパにもなる予定です!! 今後ともよろしくお願いします!!!」と自身の結婚と相手の妊娠も明かした。 この投稿に「わぁぁぁぁおめでとうございます そして来年パパ!」「お幸せに」「めでたい!」「ひるちゃんの驚きの発表に泣きそうになりました~」「パパ頑張って!」「ひるちゃんステキなパパになりそうですね」などと祝福の声が相次いでいる。 ひるちゃんは05年4月、NSC(吉本総合芸能学院)東京校10期生のえいじとインポッシブル結成。「R18グランプリ2017」優勝、AbemaTV「笑根グランプリ」優勝、有吉の壁「男版『THE W』」2020優勝などの受賞歴があり、キングオブコントでは13年~16年準決勝進出、17年~20年に準々決勝進出している。吉本興業所属。

嵐・二宮和也、ラジオで「SMAPエグいな。ちょっと異次元だな」発言のワケ

二宮和也、嵐の20周年記念ツアーの“銀テープ”にまつわるエピソード明かす 番組には、2009年8月から10年1月にかけて行われた嵐のデビュー10周年記念コンサート『ARASHI Anniversary Tour 5×10』で放たれた“銀テープ”を友達のお母さんから譲ってもらったというリスナーから、「今でも大切な宝物です」というメッセージが届いた。 二宮はこれを受け、「(銀テープは)いつからそういうようなアイテムになったんでしょうね」「あれ、片付けるのマジで大変だから」とコメント。持ち帰る人が出てきたために、「味気ないテープを持って帰ってもらうのもなんだから、ツアータイトルを入れるとかしてあげたほうが……ってことなんじゃないかな」と、銀テープにデザインが施されるようになった経緯を推測した。 続けて、18年11月から19年12月にかけて行われた20周年記念ツアー『ARASHI Anniversary Tour 5×20』の打ち上げで、「50公演がいかに大変だったか?」という話になると、「銀テープの総メーター数、台湾まで行くみたいなこと言ってたよね」と述懐。近くにいたスタッフからは、「地球7周分だった気がします」との声も聞こえてきた。 また二宮は、「『松本潤の総打ち合わせ時間』とか出てたよね? もうみんな、打ち合わせなんて聞かないで時間計ってると俺は思ってたけど……(笑)」と笑って振り返っていた。 続けて、「銀テープ文化もあったんだけど、ジュニアが手で投げようっていう時期が一時期あって……」と話し始め、紙のテープを曲の終わりに投げる演出があった際、「やったことないから、みんなめちゃくちゃテープが切れちゃって、玉のまま飛んでってすごいクレームがきて……」と、ジュニア時代のエピソードを披露。 「きれに飛んでくときはすっごい綺麗に飛ぶのよ。でも、そもそも汗かいてるし、絶対(紙のテープは)切れるよねって。懐かしいな……」としみじみ語ったのだった。 嵐・二宮和也、「SMAPエグい」「ちょっと異次元」と語ったワケ その後、リスナーから届いたメールをきっかけに、TBSの看板ドラマ枠「日曜劇場」の出演回数についてトーク。番組では以前、「二宮のことを褒めているエピソードがあったら教えてください」と募集していたが、今回、「俳優の小宮璃央さんが、『日曜劇場に二宮和也さんが出ていたら見なきゃ!』と思うみたいな、信頼される役者になりたいと言っていました」という報告が到着。 「二宮さんは、『これにこの人が出ている』というので、見るものはありますか?」という質問も寄せられ、本人は「でも、みんなそれぞれいるんじゃないですか? 『この人が出るなら面白いかもって……」と前置きしつつ、「僕も阿部寛とか出てると……」と告白。 続けて、「ヒロシアベは面白いですからね、やっぱりね」「阿部寛はやっぱり別格ですもんね」と称賛し、「『メンノン』でしたっけ? 単独最長記録を持っていたって言ってましたよね、表紙の。そこらへんも面白いもんな」と、阿部がファッション誌「MEN’S NON-NO」(集英社)のカリスマモデルだったことにも言及。 また、自身が主演した『ブラックペアン』シリーズや『VIVANT』の放送枠である「日曜劇場」の“最多主演回数”に触れ、1位は同率で田村正和、木村拓哉が7回、3位は6回の阿部であると紹介した。 そして、4回で4位に稲垣吾郎と中居正広が入っていることから、「SMAPエグいな、ちょっと異次元だな」とコメント。自身は唐沢寿明、高橋克典、妻夫木聡、堺雅人と並び3回で6位にランクインしているものの、1位を獲得するのは「無理です」と言い切っていた。 この日の放送に、ネット上では、「銀テはライブの思い出になるよね」「銀テは全部ケースに入れて飾ってるよ」「松本潤の総打合せ時間、それ教えていただいていいですか」「二宮くん、阿部寛さん大好きだな」「SMAP本当にエグいね」「日曜劇場じゃなくても二宮くんが出演してるドラマは見たいよ!」などのコメントが寄せられていた。

【追悼’24】「歌手の小金沢君」で時の人に…小金沢昇司さんが果たせなかった〝復帰の夢〟

’24年も多くの著名人が惜しまれつつ旅立っていった。過去に本誌が紹介してきた記事などをもとに、往時の活躍をふり返り、故人を偲ぶ──。 ブレイクのきっかけはたけしさんの一言 演歌歌手の小金沢昇司さんは1月11日に呼吸不全のため、神奈川県内の病院で亡くなった。享年65。’23年の年の瀬から演歌界では八代亜紀さん(享年73)、冠二郎さん(享年79)らの訃報が相次いだ中での死だった。 1984年に演歌界の大御所、北島三郎(88)に弟子入り。4年ほど運転手をつとめた後、1988年にデビューを果たす。そして小金沢さんの名前を一躍全国区に広めたのが、1992年ののど用スプレー『フィニッシュコーワ』(興和)のCMだった。 「歌手の小金沢君が使っているのはフィニッシュコーワ」のナレーションで始まるCMで小金沢さんはセリフを一言も発せず、持ち歌が流れることもなし。まだ顔が売れていなかったことから「あの人は誰?」「本当に歌手なの?」と話題となったのだ。同年の「新語・流行語大賞」の大衆部門で銀賞を受賞することにもなった。当時のフィーバーぶりについて、小金沢さんは本誌’08年12月19日号で次のように語っていた。 《ビートたけしさんが何かの番組で『あの小金沢クンて誰なの?』と言ったのがきっかけだったと思います。たった2ヵ月間のCM放送でしたが、オンエア率が高かったためか一気に注目されました。おかげで『フィニッシユコーワ』はそれまでの数十倍を売り上げ、その年の5月に発売された僕のCD『おまえだけ』は30万枚を超える大ヒットとなったんです。薬局には『〝小金沢クン〟をください』 と買いに来る人が大勢いたそうですよ》 このときの取材で小金沢さんは《演歌界に自分なりの色を出したい》という夢も語っていた。 復帰に向けてのリハビリもむなしく… 〝時の人〟ではなくなってからも、歌手活動は順調だった。持ち歌も増え、’03年にリリースした『ありがとう…感謝』は発売から10年も経った’13年に第6回日本作曲家協会音楽祭にてロングヒット賞を受賞している。 順調に見えた小金沢さんの歌手活動に暗雲が垂れ込めてきたのは、’14年に北島音楽事務所から独立して、芸能事務所を立ち上げたあたりからだった。若手時代からギャンブルなどで作った借金に加えて、事務所の設立資金を複数の知人に出してもらったことで大きな負債を負ったという。 「他にも数百万円の不動産詐欺にあったり、化粧品ビジネスに失敗したりで借金は数千万円にのぼったそうです。地道に地方営業をこなして返済していましたが、コロナ禍で生活が一変してしまった。営業はほぼ中止になり、収入は8割減。借金返済のため、生活は厳しかったようです」(小金沢さんの知人) 追い打ちをかけるように’20年11月、小金沢さんは酒気帯び運転で事故を起こして逮捕されてしまう(後に不起訴)。この事件で小金沢さんは芸能活動を自粛。以来、表舞台で歌うことはなかった。自粛中は人前で歌うことを控えていたが、「歌わないと声が出なくなるから」とカラオケでひんぱんに歌っていたという。 ’22年の夏には新型コロナに感染。回復後も誤嚥性肺炎を何度も発症し、’23年は体調不良のために入退院を繰り返していたという。’23年はデビュー35周年という節目の年ということもあって、ステージへの復帰を目指してリハビリに励んでいたが、ついに叶わぬ夢となってしまった。 ご冥福をお祈りします──。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *