Japan News

元乃木坂の妻がいて菜々緒似と不倫の西武・源田壮亮「愛妻家ほど浮気しやすい」ワケ

<亀山早苗の恋愛時評>

次々と報道される有名人の結婚離婚。その背景にある心理や世相とは? 夫婦関係を長年取材し『夫の不倫がどうしても許せない女たち』(朝日新聞出版)など著書多数の亀山早苗さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿)

(画像:衛藤美彩 Instagramより)

妻と「恋」は別物、どちらもないと生きていけない男たち
プロ野球西武ライオンズの源田壮亮選手(31)の、なかなかど派手なやらかし不倫が文春砲によって明らかにされた。妻は元『乃木坂46』の一期生だった衛藤美彩で、もうじき3歳になる息子と1歳の娘がいる。

衛藤美彩がインタビュー(『たまひよONLINE』12月8日掲載)で語ったところによると「娘がかわいすぎて胸が苦しい」と言うほどの子煩悩。また、ふたりの子育てでワンオペの妻が弱音を吐くと、「美彩は世界一のおかあさんだよ」と断言して妻を認め、励ますいい夫ぶりも、世の妻たちから「夫たるもの、こうあってほしい」と絶賛された。

一世を風靡(ふうび)したアイドルだった自分が、まさかサレ妻になるなんて想像もしていなかったに違いない。

侍ジャパンでも活躍する源田選手は23年の準決勝で、相手の盗塁をぎりぎりのタッチでアウトにし、『源田の1ミリ』と大きな話題になった。源田だからできるプレイ、源田たまらんとファンを虜(とりこ)にしたのだ。西武ライオンズでは主将としてチームを引っ張ってきた。成績が上がらなかった今年は矢面に立って批判を受け止めた。

仕事も家庭も、いろいろなことがあったとしても乗り越えていくタイプ。誠実で責任感が強い愛妻家。誰もがそう感じていたのだが……。

1年弱の濃密な関係は不倫ならでは
彼が不倫相手に選んだのは、銀座の高級クラブで働く20代後半のスレンダー美女だという。交際期間は1年弱だが、この期間の濃密な関係は不倫ならではを感じさせる。

『週刊文春』(12月26日号)によると、少しでも時間があれば彼女と密会を重ね、彼女が罪悪感を覚えて不安を感じているとわかるやいなや、彼女が見るはずのゴールデンクラブ賞授賞式では結婚指輪を外してみせる。さらに彼女の体調がすぐれないときは勤務先にかけつけてシャンパンを入れ、お金を払ってさらりと帰っていく。今年の国際大会プレミア12の開催期間中に、こっそり台湾でも密会を重ねていた。

これほど入れあげていたら家庭はどうなるのかといえば、妻とも変わらず仲のいい様子をあちこちで見せている。源田おそるべし。

アンジャッシュ渡部と同じく「美人妻がいるのに」世間はショック
かつてアンジャッシュ渡部の一件のときも、「あれほど美人の妻がいるのになぜ?」と世間はショックを受けたものだが、今回もそのときと似たような反応が多い。おそらく、ある種の男性にとって、「妻が美人かどうかは、外での女性関係とは何の関係もない」のだろう。

家庭は家庭、外は外と簡単にスイッチが切り替わってしまうのではないだろうか。今回は、相手の女性が女優の菜々緒似だというから、妻も外の彼女も美形ということにはなるのだが、それはたまたま彼が美形好きということなのだろう。

文春の直撃を受けて、源田選手はプレッシャーや孤独感を増したときに、ふと魔が差したと答えている(『週刊文春』12月26日発売号より)。

魔が差したにしては、かなりののめり込みようだが、1、2年の間すさまじい勢いで不倫にはまっていく男性も少なくはない。こうした男性はしばらくすると、つきものが落ちたように元の生活に戻る可能性も大きい。源田選手も、発覚したことで潮時だったと悟ったのではないだろうか。

「愛妻家ほど浮気しやすい」理由とは
それにしても、「プレッシャーと孤独感」は、男性の不倫の言い訳としてはありがちではあるが、これは妻とは離婚したくないというサインかもしれない。

妻が「夫のプレッシャーと孤独をわかってあげられなかった自分」を反省してくれる可能性もあるからだ。というよりむしろ、それを願っての「言い訳」ともいえる。ただ、それを許すかどうかは妻の「判定」次第ではある。

不倫取材を長年続けてきて、「愛妻家ほど浮気しやすい」という感触はもっていたが、源田選手もまた、そうだった。愛妻家を標榜(ひょうぼう)したり、目に見えやすい形で仲の良さをアピールする男性ほど、外で「素の自分」として勝負したがるものだから。

実力の世界でありながら人気商売でもあるプロ野球選手という仕事で、自分をどう見せたいかを考え始めると迷いや葛藤が生じるのかもしれない。妻が一般人ならともかく、芸能人だと一緒にテレに出たときの立ち居振る舞いが妻にはかなわないと思うこともあるだろう。

花形としての選手、職人のような選手といろいろタイプは分かれるだが、どちらにも1ミリ足りなかったところに「源田の悲劇」があるのかもしれない。

<文/亀山早苗>

【亀山早苗】
フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio

 

Related Posts

元宝塚・愛花ちさき結婚発表「今後は関西在住となります」夏夕介さんと伊藤めぐみさん長女

元宝塚歌劇団宙組の俳優愛花ちさき(38)が27日、X(旧ツイッター)で結婚を発表した。「私事ではございますが、この度結婚しました事をご報告いたします。また、結婚に伴い今後は関西在住となりますが東京でのお仕事もご縁を大切に自分のペースで続けていく所存でございます」と、関西に拠点を移すことも併せて発表した。 愛花は、俳優の夏夕介さんと元俳優伊藤めぐみさんの長女で、03年に宝塚歌劇団に89期生として入団。14年7月に「ベルサイユのばら」で東京公演をもって退団。俳優のほか振付師、クラージュキッズ演技講師も務めている。 結婚指輪を着けた写真も公開し「急なご報告となりましたが、いつの日も思いやりを忘れずに幸せな家庭を築いていきたいと思いますのでどうぞ温かい目で見守っていただけると幸いです」とつづった。夏夕介さんと元俳優伊藤めぐみさんの長女で、03年に宝塚歌劇団に89期生として入団。14年7月に「ベルサイユのばら」で東京公演をもって退団。俳優のほか振付師、クラージュキッズ演技講師も務めている。 結婚指輪を着けた写真も公開し「急なご報告となりましたが、いつの日も思いやりを忘れずに幸せな家庭を築いていきたいと思いますのでどうぞ温かい目で見守っていただけると幸いです」とつづった。

夫・源田壮亮は家に戻らず… 衛藤美彩が不倫ショック! 大病患いワンオペ育児

元乃木坂46・衛藤美彩(31)に周囲から心配する声が上がっている。 25日に文春オンラインで、夫である西武・源田壮亮内野手(31)の不倫が報じられた。銀座のクラブで働く20代女性と1年近く交際し、11月の国際大会「プレミア12」での台湾遠征中にも密会するなど逢瀬を重ねていたという。源田は文春の直撃に不倫関係を認めている。 衛藤は2019年10月に源田と結婚。不妊治療を経て22年1月に第1子となる長男を出産、昨年12月には妊娠中に2度の切迫流産を乗り越え、第2子長女を出産した。22年10月には育児業界に影響を与えた人物を表彰する「ペアレンティングアワード」を夫妻で受賞していた。 球団側は「家庭内の問題」として、処分などをしないとしているが、妻・衛藤は大きなショックを受けているという。 「(衛藤)美彩ちゃんはそれまで仲良くやっていた夫と、連絡が取れなくなってぼうぜん自失としています。今も源田さんは美彩ちゃんと2人の子供を置いて、家にも帰っていないらしいです」(衛藤に近い女性スタッフ) さらに、衛藤は第2子の妊娠中だけでなく、出産後も〝苦難〟に見舞われていた。 「実は…公にはしていませんが、美彩ちゃんは第2子を出産後、大病を患ったことがあるんです。体調が優れない日が多い中で、年子の子供たちをワンオペで育てていた。ギリギリの状態で踏ん張っているようでした。そんな状況で、源田さんが1年近く前から不倫関係にあったなんて…本当に信じられません」(同) ワンオペ子育てで精神的、肉体的に追い込まれていた衛藤に降りかかった夫の裏切り…。周囲は心が折れないか、気が気でないという。

中居正広 収録中止の『金スマ』に続き新番組『THE MC3』も放送中止へ!スタッフは「このまま番組がなくなってしまうのでは」

「中居正広さん、東野幸治さん、ヒロミさんの3人が司会を務めている『THE MC3』(TBS系)ですが、年明けの1月13日に予定されていた回が放送中止になることがスタッフたちに通達されたそうです」(TBS関係者) 国民的大スターである中居正広(52)の“まさかのスキャンダル”は波紋を広げ続けている。 発端は12月19日発売の「女性セブン」によるスクープ。記事によると、昨年に当初3人で行われるはずだった会食があったが、急遽中居と女性の2人だけに。その後、密室で2人の間に重大なトラブルが発生。後日、代理人を介した話し合いの場が持たれ、中居から約9000万円の解決金が支払われたという。 中居の代理人弁護士は同誌の取材に対して、「本件については、以前に双方の話し合いにより、解決しておりますことをご理解ください」と回答しており、トラブルがあったことや示談金を支払ったことを否定していない。 12月26日には同じくTBS系の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』の収録が予定されていたが、前日の25日に中止されたと報じられている。 前出のTBS関係者が続ける。 「『THE MC3』の放送中止についての通達があったのも12月25日で、文春オンラインが中居さんの女性トラブルについて報じた日でした。現場では『記事を確認したうえで中止を判断したのだろう』と、ささやかれています。 1月13日放送分はすでに収録を終えており、スタッフたちも動揺しています。放送中止の理由についての説明は特になかったそうです。1月13日の放送だけではなく、『このまま番組がなくなってしまうのではないか』と、スタッフたちは戦々恐々としています」 12月27日、本誌はTBSテレビ広報室に、『THE MC3』の放送中止の理由と番組終了の可能性について質問状をおくったが、年末ということもあったのか、要望した時間までは回答を得られなかった。 「9000万円という解決金は世間を驚かせましたが、逆に『そこまでのことをしてしまったのか』という印象を広げ、延焼を防ぐにはいたっていないようです。 スポンサーや視聴者の反応によっては、今後、TBSが中居さんを起用しない方向に舵を切る可能性もあります」(前出・TBS関係者) 激震は年明けまで続くのか? 関係者たちは注視し続けている。

里見浩太朗 超大物歌手を激怒させた過去「何すんのよ!」 65年前に撮影中止になった思い出

俳優の里見浩太朗(88)が、27日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」(金曜後7・30)に出演。超大物歌手を激怒させたエピソードを語った。 スタジオにて「浩太朗さんは、若い頃ぼーっとしてケガさせちゃったんだって?」と聞かれた里見。「古い話なんですよ」と前置きし、1959年の映画「お染久松そよ風日傘」の撮影現場での思い出を語り始めた。  共演したのは昭和のレジェンド歌手・美空ひばりさん(享年52)。ひばりさんは油屋の娘・お染役。里見は丁稚・久松を演じた。この2人が恋に落ちるというストーリーだが、「ある日“久松行くわよ~”って言って先にお染さんが玄関に出る。その時、玄関に並んでた油つぼにちょっとひっかかるんです。油のつぼがゴトーンってひっくり返る」というシーンがあった。 その後里見は「用意スタート」の合図で廊下へ走ったが、床には本物の油がまかれていたといい「ステーンってひっくり返った。油の上だからずーっと滑って。お嬢さん(ひばりさん)にドーンってぶつかって」と成す術もない状態に。  「ひばりさんひっくり返って“何すんのよ!”って怒ってんですよ」と語り、凄まじい状況のため、その日は撮影中止になってしまったと明かしていた。

「ママ、ろれつが回ってないよ」脳出血で40周年コンサート直前に緊急搬送…歌手・井上あずみが意識を失う前に娘にかけた言葉

ジブリ映画の楽曲『君をのせて』や『となりのトトロ』を歌う歌手・井上あずみさん。昨年8月に開催予定だった自身の40周年コンサートの当日、リハーサル中に脳出血で倒れ、緊急搬送されました。手術、そして過酷なリハビリなど、この1年を振り返ってお話を伺いました。(全4回中の3回) 『君をのせて』を歌うところでろれつが回らず ── 40周年コンサート当日、リハーサル中に脳出血を発症なさったそうですね。当時の状況を教えていただけますか? 井上さん:もともと高血圧で薬を飲んでいたのですが、それを飲むと眠たくなってしまうので「コンサートをシャキッとやりたい!」という気持ちからその日は薬を飲まなかったんです。気持ちが高ぶり、前夜は寝られないままコンサート当日を迎え、午前中にリハーサルしているときに立ったり座ったりするたびにガクッとなって。「なんだかいつもと違うな」と思っていたんですけど、最後に映画『天空の城ラピュタ』のエンディング曲『君をのせて』を歌うところでろれつが回らなくなりました。 同じステージに立つ予定だった娘(歌手の今尾侑夕さん)が「ママ、ろれつが回ってないよ?」と駆け寄ってきて「え?ほんとに?」と言ったところで急にフラっとして、頭が痛くなり…マイクを床に置いて座り込むように倒れました。あるスタッフはフィナーレの演出かと思ったというくらいゆっくり座り込んでマイクを置いたそうです。「高額なマイクを落としちゃいけない!」と、とっさに思ったんでしょうね(笑)。 ── 娘で歌手の今尾侑夕さんがじんそくかつ、的確に現場を仕切ってくれたおかげで病院へスムーズに搬送されたそうですね。 井上さん:そうなんです。といっても私は記憶がないので、娘やマネージャーの夫に聞いた話になるのですが、ちょうど熱中症が多い季節で、119番にかけても救急車がなかなかつかまらない状況だったそう。どうにか電話がつながり、救急車を呼んでくれました。救急車が到着するまで、娘は「何時何分嘔吐」とか全部記録して、救急隊の方に報告したそうなんです。「医療関係者の方ですか?」と言われたくらい、冷静に現場を把握して対応してくれた娘には本当に感謝しています。

スズキ・鈴木修氏が死去 軽自動車の発展やインド市場開拓などに尽力 トヨタ豊田会長から「お悔やみの言葉」も

世界のスズキを作り上げた鈴木修氏死去 94歳 2024年12月27日にスズキは同社の相談役・鈴木修氏が同月25日に死去したことを明らかにしました。 享年94歳でした。 鈴木修氏は1958年にスズキ株式会社の前身となる鈴木自動車工業株式会社に入社。 1978年には同社の取締役社長に就任。1990年には社名を現在のスズキ株式会社に変更しています。 その後、2000年に同社の取締役会長に就任しますが、2008年には再び同社の取締役社長を兼務。 そして2015年に再び取締役会長に就任し、2021年に同社の相談役に就任しました。 約43年にわたりスズキを成長させ率いてきたことから「カリスマ経営者」としても知られています。 こうした経歴を持つ鈴木修氏といえば、社長就任の翌1979年に最初の勝負のクルマかついまでもスズキを代表する「アルト」が登場したエピーソードは有名です。 その他にも現在、スズキの主力市場となるインドを開拓した立役者でもありました。 かねてから親交のあった豊田章男氏(左) /鈴木修氏(右) また同じ自動車業界で鈴木修氏を「憧れのおやじさん」と慕っていたトヨタの豊田章男会長は以下のようにお悔やみの言葉を発表しています。 「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。 鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。 ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。 2016 年の共同記者会見。 修さんは『経営者には“これで一段落”ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。 40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。 厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました。 ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。 『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』 いつの日か修さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために仕事をしてまいります。 私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。 ありがとうございました」 ※ ※ ※…

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *